井の中の蛙

Foot intelligence since 1995

教育について

井の中の蛙大海を知らず

自分の価値観の範囲でしか評価しないことって不利かも

 多分、日本人に限らず、どの国の人にも同じような傾向はあるのだと思いますが、日本の環境はちっと特殊な気がします。それゆえ価値観が特殊な部分がある可能性が高いかもしれません。例えば、鎖国をしていた歴史があり、とても長い間、同じ場所に、同じ民族が、同じ文化を築いていた唯一無二の国ですから。

frog.jpg

 先日ある友人(サッカーコーチ)がイタリアにあるチームを連れて、トーナメントに参加して、予選リーグ敗退した感想が象徴的でした。
 彼は、アトランタや地元の選抜チーム、ACミランと戦った結果の感想として、「対戦チームは大してうまくないんだけど、やられてしまった。」というもので、こういう感想は彼だけではなく、ヨーロッパで試合をして勝てなかった場合に、日本人のコーチからよく聞く言葉で、僕はいつも違和感を感じます。

その時、僕はビールを飲みながら、それは「うまい」という価値観に若干ズレがあるんじゃないの、という話をしました。大多数の日本人のサッカーの価値観、美意識が、イタリア等のヨーロッパ諸国のそれと差がある事は間違いないと思います。もちろん南米諸国のそれとも差がある。しかし、ヨーロッパと南米は枝葉の部分で美意識の差があるけど、合理性という部分で、根幹では両者は似ている。

dejima.jpg

日本のサッカーレベルのプラトー

 Jリーグができて、日本のサッカーがここ十数年で急速にレベルアップして、その後、最近停滞しているように僕には見ているのだけれど、その原因は、価値観、美意識のズレじゃないでしょうか。日本のサッカー界の大多数の人の価値観、美意識が、サッカーの強い国のそれとはズレている。日本人のサッカーに対する価値観、美意識のほぼ限界まで、レベルアップしてきたが、その価値観と美意識が、効果的でないために、壁にぶつかってしまっているように見えます。僕は今のままの価値観と美意識ではこれ以上レベルが上がらないと思えてしまう。

木を見て森を見ず

 サッカーだけではわかりにくいので別の例を出すと、日本人がドイツ人や、イギリス人に対して、ドイツ人やイギリス人は日本人と似ていると言う事を良く聞く事があるけど、イギリス人やドイツ人で彼らが日本人と似ていると思う人は、あまりいないと思う。
 確かにイギリス人は大陸のヨーロッパ人と比べれば、少し閉鎖的な所はあるかもしれない、ドイツ人も信号を良く守ったり規律が正しかったり(知り合いのバイエルンのコーチ曰く最近ではそうでもないらしいが)するが、両方ともキリスト教徒的な感覚であり、日本人とは大分違うように僕は感じる。
 日本人の価値観の範囲だけから考えるともしかしたら、イギリス人やドイツ人は日本人に似ているのかもしれない。しかし、イギリス人やドイツ人の価値観から見ると、恐らく、彼らは日本人と似ているとは思っていないと思う。
 彼らは、アメリカ人やフランス人の方がよりイギリス人やドイツ人に近いと感じているはずだ。アメリカ人やフランス人ほどではないにしても日本人よりもブラジル人やアルゼンチン人の方が、イギリス人やドイツ人に感覚的には近いものがあると思う。なぜなら彼らは皆キリスト教の影響を受けた文化にいるし、血のつながりも近い。
 僕の主観的な感覚でも、イギリス人やドイツ人と日本人はとても似ているとは言いがたい。もちろん島国同士とか、敗戦国でその後、経済発展したというような共通点は見る事ができるが、人の気質としては、相当に違うと思う。
 もしかしたら日本にしか住んだ事が無い場合、比較の対象が無いので、日本の価値観のみから一方的に判断してしまい、イギリス人や、ドイツ人が日本人と似ていると感じてしまうのかもしれない。
 僕は日本人と韓国人は少し似ていると思う。中国人はまったく違うし、タイ人も日本人とは大分違う。最近良く日本人と似ているといわれるベトナム人も実際にベトナムに行ってみると全く価値観が違うように見える。
 イギリス人やドイツ人が日本人に対して、似ているという人がほとんどいないのに対して、日本人がイギリス人やドイツ人と似ていると言う人が意外といる事の差は、イギリスやドイツは歴史的にいろいろな他の民族(違う価値観)との交流があったからで、比較する対象がたくさんあり客観性があるからかもしれない。日本の場合、数千年も他の民族との交流がほとんど無かったため、日本の価値観が世界の価値観と一致している錯覚を持ちやすいのかもしれない。
 日本人が同じ島国のイギリス人が自分たちと似ていると感じる事や、ドイツ人も気質が日本人とにいているでとはと考える事は、木を見て森を見ずである気がする。

価値観が同じであるという幻想を持ってしまう

 価値観が同じであるという幻想を持ってしまうと、他国の強いサッカーチームに対して、「相手は大してうまくないのに、負けてしまった」という感想が出るのだと思う。違う価値観が存在するという認識があれば、価値観の違いが、勝敗に影響している事を見抜けるのだが、日本の特殊な歴史の不利な部分として、言葉では価値観の多様性がある事を知っていても、感覚的に許容しにくいのかもしれない。最近の日本のサッカーのレベルの停滞は、僕はそこにあるのだと思う。

解決策

 その問題を解決するには、なるべく多くの人(指導者)が、外国に住み外国語を話し外国人と生活する事が手っ取り早いと思う。手っ取り早いといっても日本にはしがらみがあり、なかなか長期間、日本を離れる事に恐怖を感じない人は少ないかも知れないですが・・・
 しかし、今世界最強の通貨、日本の円を持ってすれば、一、二年なら誰にでもできる事だ。家族がいても、実質的に、それで人生が狂ってしまうほどの事はないでしょう。そういう恐怖をもってしまうのは、教育によって、恐怖をもつように洗脳されているからかも。
 一、二年と書きましたが、石の上にも三年、ということわざがあるように、ほんとうは最低三年だと思いますが・・・簡単じゃないのはわかります。
 日本の場合、島国である事や歴史的な背景、移民をあまり受け入れないというような事から、外国に住まないと、いくらテレビで見たり、本で読んでも、感覚的に理解不可能な事が多いように思う。
 海外に住み積極的に違う価値観に触れないと、いつまでも、「相手は大した事が無いのに、勝てない」という話になってしまう。
 自分の価値観ではうまいと思っていても、サッカーの先進国では、そのうまさが勝利のために役に立たないと評価されてる事に気がつかない事が続いてしまう。

派閥の中でぬくぬくしている人たちがそこから飛び出さないと

 今、派閥の中心にいる人たちが、一人や二人ではなく、より多く海外に住んで、日本人同士で固まらず、心を開いて違うものを受け入れ、多様な価値観に触れる事が、日本のサッカーにはプラスになると思う。派閥外の人間がいくら海外で学んでも、それを受け入れるシステムが今の日本にはまだ無いのだから。

 ここに書かれている事は、ぱっと見、教育の話ではないのではと思うかもしれませんが、これから書かれるコラムを読んでもらううちに、関係をご理解していただけると思います。

 僕は十八才まで日本で教育を受けて、その後スペイン、ブラジル、フランス、アメリカ合衆国等の国で、プロサッカー選手であったり、子供のコーチであったり、ビジネスを営んだりしてきました。その経験から日本で受けた教育によって得てしまった習慣や考え方に、足を引っ張られてしまったと感じている事が意外と多くあります。そういう感じは、日本を出て外で仕事をしたり生活していないと解りにくいので、どんな事が足を引っ張ったのか、これから間接的に、解るようにコラムを書いてゆこうと思っています。勿論得した事も書きます。
 1991年にバブルが崩壊して、それでも昔の価値観のまま、あまり変わらず今日まで日本はきましたが、さすがに今回の金融危機では、いろいろな変化をこれから目のあたりにする事になると思います。また労働人口が急激にこれから減ってゆく事も大きなインパクトがあるでしょう。僕がブラジルから帰国した1991年頃はまだジャパン・アズ・ナンバーワンの意識が強く、聞く耳を持ってもらえませんでしたが、今はタイミング的にそろそろ聞いてもらえる時期になったかもしれません。

20080526_1.jpg

お問い合わせから質問や意見をお待ちしております。

このコラムに関する意見や質問を是非、下の「お問い合わせ」からメールしていただければ幸いです。
一緒にコラムを作ってゆければと思っています。